全国から測定・分析の依頼が殺到した

アルカリイオン水が「驚異の水」で大ブレイクしたのがきっかけで、研究所を設立し松下の専門分野測定・分析を本格化すると、全国から測定・分析の依頼が殺到した。特に、「驚異の水」の本体アルカリイオン水は依頼件数が多く、研究所のデータが必ず添付されるようになった。
 研究者やメーカーが集まってアルカリイオン水協議会が設立され全国の研究者、大学、メーカー、病院、医師がデータを取り始め、毎月、全国で発表会が行われた。さらに、範囲を広げ、機能水財団など各種の専門家グループが相次いで設立。研究の方も大ブームを引き起こした。
 私も沢山の病院や医師と患者さんの測定・分析を積み重ねた。集まって勉強会も開催した。600名程度に広がった矢先、医師会からアルカリイオン水を医療に取り込んだ医師に対し、通達が来た。アルカリイオン水を医療に利用するのはお医者さんの自由だが、正式な治療ではない。アルカリイオン水を使って治療して保険適用させようとしても認められない。続けたいなら自由診療で続けてください」。一緒に勉強会を続けていた先生方は、当時は保険医でないと自由診療では食べていけない時代だったので、診療では一斉にアルカリイオン水と縁を切った。一緒に水治療を始めた篠原先生もアルカリイオン水を捨て保険医に戻った。周りから水治療の先生は姿を消した。
 アルカリイオン水をカルシウムイオン水と言って販売する人が急増したため、消費者センターも販売方法にクレームを付けた。
 1992年100万台超え、1993年約100万台の電解水生成器は、1994年一気に20万台。100万体制で工場が稼働していたが、在庫が急増・工場建設がストップ。メーカーは大打撃で倒産が相次いだ。

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