病気がひどいので病院と薬はまじめに欠かさなかった

父親が国家公務員。子供の頃から転勤・転校の繰り返し。
 転校のたびに病院探し、占い師探し、祈祷師探し。全く病気が治らないと言うより次第にひどくなる。顔色は悪くなるし交通機関に乗ると吐き気がして次第に血の気が引いてくる。バスは乗るのはとても嫌で吐き気がする。少し長いと吐いてしまう。旅行には汽車以外の乗り物では到底行けない。修学旅行も行かない。しかし、病院には連れていかれる。占い・祈祷にも連れていかれる。宗教団体にも入った。転勤の度に新しい場所を探す。
 小学校の時は広島県尾道市、鳥取県米子市、中学の時は埼玉県浦和市(今のさいたま市)、広島県呉市母方、高校の時は広島県呉市父方、広島市、父が放送局に就職する前に広島市、大分の放送局立ち上げで大分市15年。転校生での人生はいじめの対象になったが喧嘩三昧。カラダがどんどん悪くなる。
 大学はアメリカの占領軍が大嫌いで安保闘争に参加する目的で東京の大学を選ぶ。学生運動に参加したが、学生の余りにも信念の無い闘争に、むなしさを感じて離脱。パチンコとマージャンの日々を過ごす。大学は封鎖され試験だけで卒業できた。マージャンの腕を磨いていたので、学生にはマージャンでは負けない。同級生はマージャが弱いのに掛けマージャンをやりたがる、私は強かったので弱い同級生から金を取らず、英語、フランス語の授業に私の名前で出て試験まで受けてもらった。全く学問から遠去かった学生時代だった。
しかし病気がひどいので病院はまじめに欠かさなかった。

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