母は、息子のために、いいと言われる病院を連れ回る。でも、病院の結論はいつも同じで「今は治療できませんが、大人になれば治りますよ」。が、37歳で死の淵に立たされた、
「大人っていくつ?」
でもあきらめることなく治療行脚。小学校2年生までに頭のてっぺんから爪先までの鍼灸、多種多様の漢方薬、運動療法、朝鮮ニンジンや蜂蜜・蜂の子、蚕、食事療法、占い、宗教、祈祷。残念ながら、私には効果が無かった。
交通機関であちこち受診に行ったが激しい車酔い。でも、親の言うまま行ってみた。今考えると、何も知らない親が子供のカラダを考えて藁にもすがってくれたことには感謝するが、何一つ良くならなかった。最近知り合った発達障害の子供を抱えたお母さんの会、お母さんの行動を見ていると私が子供の頃の母親に似ている。大事な子供を救いたい一心なのは良く分かる。しかし、私と同様、子供は良くなっていない。親の思いが実現していない。
子供のカラダを洗うと言う考えは誰も持っていない。心や診療方法で良いと思われることを探し続けている。お母さん、体の中を洗って発達障害を引き起こしている原因をアルカリイオン水で体外に捨てませんか。
今の生活と治療方法を継続しても、体の中が変わらない限り、子供は発達障害から抜け出せませんよ。カラダに良い成分や治療で使用される薬がどんどん体内に溜って、ますます改善が遅くなりますよ。新たな病気が増えますよ。
私も家族も藁にすがっていたが、症状は少しも改善しないばかりか、貧血、冷え性悪化、狭心症・不整脈が加わった。病弱な私は抵抗力も弱くヒョウソウ・ものもらい・できもの・アトピーなどの皮膚疾患も絶えることなく襲って来る。
にもかかわらず救いがあった。私はとても悪ガキだった。近所に発達障害のドモリの子がいて、友達付き合いは消極的でおとなしかったが、同じ発達障害のチック症の私は、喧嘩に明け暮れていた。道路を挟んで山側の私の軍団と海側の少し年上軍団がそれぞれ5名前後いて、時々喧嘩が勃発。手や顔が傷だらけになって血が出ていても平気だった。それが子供の息抜きだったのかも知れない。
小学校4年生から父親の転勤で尾道、米子、浦和、広島、大分と回ったが、行く先々で病院探し。全く良くならなかった。
これって発達障害?
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