皆が羨む岩清水が私をむしばむ

私は子供の頃から体が弱く、アレルギーの塊であったばかりか、皮膚も弱く、歯もがたがただった。以前は病気の呼び方も違っていたが、今の呼び方で言うと、重度の発達障害でもあった。
 その時は分からなかったが、今思い起こすと、水が私を病気に追いやった大きな原因であった。

 我が家は広島県呉市宮原通り。山の中腹で海岸端が下道路、海軍専用の道路。その上が中道路で一般のバス道路。ここに海軍の基地が見えないよう高い壁があって軍と民間の厳しい隔てがあった。終戦で敗北し進駐軍オ-ストラリア軍が入ったときも隔てとして残されていた。もう一本上の道路上道路にもバスが走り音戸の瀬戸、江田島に抜けて行った。戦艦大和を作った造船所の真上が我が家だった。
 敗戦。毒ガスや生物兵器などが山の防空壕に内緒で廃棄。
 我が家は岩清水の湧く家で、水が枯れないことで名が知られていて、水不足の時は我が家に水を汲みに来る人が多かった。我が家にはコンクリートの幅2メートルくらい、長さ6メートルくらい、深さ1メートルくらいのプールがあり、そこには常に岩清水からの湧水がいっぱい貯められていて、あふれる水を道路端のコンクリートの水槽に流していた。
 皆が羨む岩清水が私をむしばみ、子供の頃から体が弱く、アレルギーの塊を作り、皮膚も弱く、歯もがたがたにしてしまった。

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