小羽田 健雄– Author –
小羽田 健雄
株式会社生命の水研究所 代表取締役
-
皆が羨む岩清水が私をむしばむ
私は子供の頃から体が弱く、アレルギーの塊であったばかりか、皮膚も弱く、歯もがたがただった。以前は病気の呼び方も違っていたが、今の呼び方で言うと、重度の発達障害でもあった。その時は分からなかったが、今思い起こすと、水が私を病気に追いやった大きな原因であった。我が家は広島県呉市宮原通り。山の中腹で海岸端が下道路、海軍専用の道路。 -
アルカリイオン水1日10リットル以上で命を救われた
チック症(トゥレット症候群)。運動チックと音声チックが重症で呉の国立病院に保育園に通い始めた頃、無料で招待された。実験動物の様なもので、どうすれば良くなるのか色々試してみようと言うことのようだった。今は発達障害。後に自閉症(アスベルガー症候群)も加わる。当時は、誰にも、何も分からないので、病院に入って治療すれば、もしかすると治ると期待されていた。 -
天然水には何が含まれているか分からない
天然水・岩清水を飲んでいたことが、子供の頃から病気がちな原因であったと37歳で健康回復した時に悟った。天然水には何が含まれているか分からない。一般的には工場のばい煙や車の排気ガスが当たり前のように260年前から雨で降り続いている。私が生まれた呉の家では、用水池で鯉を飼っていたが死んで浮かび上がる事件が時々起きていた。 -
病気がひどいので病院と薬はまじめに欠かさなかった
父親が国家公務員.子供の頃から転勤・転校の繰り返し。転校のたびに病院探し、占い師探し、祈祷師探し。全く病気が治らないと言うより次第にひどくなる。顔色は悪くなるし交通機関に乗ると吐き気がして次第に血の気が引いてくる。バスは乗るのはとても嫌で吐き気がする。少し長いと吐いてしまう。旅行には汽車以外の乗り物では到底行けない。修学旅行も行かない。 -
環境を変えると人生が変わる
37歳で死のがけっぷちに立ち、無理矢理飲んだアルカリイオン水で死の淵から蘇った。自分を振り返ってみると、子供の頃親に教わり周囲の環境に慣れ親しむと、それ以外の人生を歩むことはない。良いか悪いかではない。環境の中でしか生きていけないのが人間だ。環境を変えると人生が変わり、良いか悪いかも変わる。何度も転機は訪れる。何時でも異なる世界を行ったり来たり出来る。 -
水に健康を求める考えは昔も今も世界の人にはない
1888年市町村制施行、1890年水道条例が定められ、東京・大阪・京都の3大都市、横浜・神戸・函館・長崎・新潟の5開港場に限定され水道の国庫補助が出た。上水道給水開始は、戦後のこと。1952年の立川市に始まる。それまでは各家庭の浅井戸。しかし市街化して生活用水による井戸水の汚染が問題化。ようやく上水道建設に力を入れるようになった。 -
水道水中の塩素、アメリカ支配の日本で特別扱いされている
1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し終戦。連合国軍が日本占領中に設置した総司令部ジー・エッチ・キューGHQは、1952年サンフランシスコ講和条約発効で廃止されるまで占領政策を日本政府に施行させていた。水道事業を監督・指導した連合国軍総司令部GHQ公衆衛生福祉局。マッカーサー司令官は、日本が二度とアメリカに逆らわないよう国民の健康を弱体化させると指示。 -
水道水はそのまま飲んではいけない!
いくら言っても水道水を直接飲む人は全国民の37.5%。 浄水器を設置して水道水を飲んでいる人32%。 ミネラルウォーターなどを購入して飲んでいる人29.6%。 水道水を一度沸騰させて飲んでいる人27.7%。 その他、分からないが2.9%。 (複数回答)少なくとも水道水に含まれている体に悪い物は、最低限、浄水器を使って除去して欲しい。 -
たったそれだけのことで多くの病気にならない人が急増する
水道水は、日本国民にとって無くてはならない大切なもの。しかも世界で一番頼りになるもの。何時でも、何処でも、誰にでも、簡単に、安価に、必要な量入手できる。ただ、分かって欲しいのは、水道水をそのままで飲まないこと。水道水をそのままで調理に利用しないこと。水道水をそのままで食材を洗わないこと。 たったそれだけのことで多くの病気にならない人が急増する。 -
世界でも珍しい、水道水でしか出来ない驚くべき奇跡がある
水を自由在に使いこなせた時代はなく、現代でも、水道水が飲める国は世界で9ヶ国しかない。だから、水が飲めるだけでも十分で、たった9ヶ国しかない水道水が飲める国に住んでいる日本人にとって、これ以上の贅沢は望まないのかも知れない。しかし、この世界でも珍しい、水道水でしか出来ない驚くべき奇跡がある。世界の人が知らない奇跡。