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手を付けてはいけない人工透析患者を救う水治療に手を染めてしまった
水(アルカリイオン水)を飲んでもらうので、透析患者にはあり得ない信じられない世界だ。世界の医療常識では沢山の水を飲ませるのは厳禁。私も篠原先生も、腎臓が水で洗えると信じていたので、浮腫みの状況を見ながらアルカリイオン水の量を増やしていく挑戦をした。透析患者が水を飲むので、必ず浮腫む。 -
水治療で病気が洗い流される理由も次第に分かった
水の測定・分析が始まると、様々なことが分かって来た。誰も教えてくれなかったこと。誰も知らなかったこと。専門家が体験していないこと。今までの知識は何だったのか?偉い人が教えてくれたことや専門書に書いてあることは何だったのか?教育によって鵜呑みにしていたのに、合致しないことが増えた。私は文科系なので、理科系の知識は頭に入らない。 -
1987年から診療所の患者さんの水治療データを取り始めた
1986年、37歳で死の淵に立っていた時、たまたま赤井電機が蛇口直結・連続式・浄水器内蔵体タイプの電解水生成器を作って私の事務所に無理矢理取り付けた。返品の為飲めないお酒を皆で飲んで二日酔いで帰宅、帰宅後2リットルのアルカリイオン水を飲み、朝二日酔いが無かったので購入。翌日から1日10リットル目指してアルカリイオン水を飲んだ結果、病気が消えて健康になり、篠原先生と水治療を開始することになった。 -
警察病院で治らなかった患者や重症患者が水治療にやって来た
警察病院の先生で、鳩山ニュータウン診療所の院長、篠原先生と水治療を開始したころは、私と先生が1日10リットル以上のアルカリイオン水を飲んでいた。それが功を奏していたので「体内クリーニング」と命名して水治療を熱っぽく推進した。この頃は赤井電機の製品を販売していたが、水の機械・電解水生成器は販売していなかった。購入して活用しただけだった。 -
「お伊勢参り」行ってきました
新たな37年の一歩を踏み出します。後期高齢者もスタート。伊勢市駅から外宮→内宮とお参りし、五十鈴川で水の神様に皆さんが水で健康を守れるようお願いしました。翌日は雨で凍えるほど寒い細道を、電解水でカラダを洗い流して皆さんが元気でいられるよう女性の願いを一つだけ叶えてくれる鳥羽市相差町の新明神社(石神さん)に願いを伝えました。 -
「お伊勢参り」が江戸時代を一世風靡
私の新たな出発の為、21日から伊勢神宮に参拝します。25日まで投稿はお休みです。「お伊勢参り」が江戸時代を一世風靡。しめ縄で結ばれた大小二つの岩からなる夫婦岩や二見興玉神社がある二見浦で禊→伊勢神宮社外宮(豊受大神宮)→古市街道→伊勢神社内宮(皇大神宮)天照大御神(あまてらすおおみかみ)を参拝。最後に朝熊岳金剛證寺に登る。 -
アルカリイオン水の素晴らしさを40年近く追いかけてきた
1992年の大ブームで水治療が浸透し始めた矢先、医師の最大の財源を奪われる危機感がつのって医師会大反発。2年で芽を摘まれてしまった。水治療がもっと普及していれば、多くの人がアルカリイオン水の適切な利用方法と力を知る事が出来た。仲間になった全国の医師が、医師会による保険医取り上げ通達の脅しに負け、水治療から一斉撤退。アルカリイオン水の力を封印。 -
このトリプルチャンスは人生で二度とめぐって来ない
日本2600年の歴史で初めてのトリプルチャンス。オシッコが自由に出来る。そして、水道水が何時でも、どこでも、誰にでも、安価に、いくらでも自由に利用出来る。蛇口を捻ればカラダを洗えるアルカリイオン水が生成できる。但し、日本の水道水に限られる。世界初の電解水生成器の誕生。このトリプルチャンスは人生で二度とめぐって来ない。 -
オシッコの繰り返しがカラダ洗浄につながった
それまではオシッコをなるべくしないことが生活習慣になっていた。子供の頃からトイレに行くことは、授業中はいかないこと、食事中は不潔なのでいかないこと、夜寝てからはいかないことなど、オシッコは出来るだけしないことを社会が要求していた。この常識の中で生きていたので、アルカリイオン水を飲んでオシッコに通うことは、まるで異次元の世界だった。 -
トイレが余りにも近い。飲んでトイレ飲んでトイレを繰り返す
アルカリイオン水を飲んだ時、初体験が次々起きた。良い出来事は大歓迎だが、悪い出来事も起きた。痒い!アトピー性皮膚炎だ。良いことが起こる反面、アトピー性皮膚炎はさらに痒くなる。痒くて痒くて我慢できない。皮膚はボロボロでひび割れていたので痒くなってひっかくと、今度は痛い。我慢できなくてさらにひっかくと血がにじみ出す。ひりひりする。発狂しそうだ。