水は生きるために飲む、トイレは極力行かないが普通になった

1945年8月14日、第二次世界大戦での敗戦。天皇の大権に基づいてポツダム宣言を受諾。以降外国の軍隊が日本に駐留。私の生まれた広島県呉市は海軍の町だったので、オーストラリアの進駐軍が駐留。
 私が中学生になった頃、井戸水と天然水だった水が水道水に切り替わった。子供の頃は先祖代々利用していた岩清水で、台所や風呂場は室外にあり、食事の支度やカラダを洗うことは室外で行っていた。トイレも室外だった。それが当たり前だった。水を飲むことは最低限で済ませる。トイレも外なのでオシッコはなるべくしなかった。それが時の流れと共に現代まで推移し、水は生きるために飲む、トイレは極力行かないが普通になった。
 水道水で全てが便利になって社会が変わったが、水そのものに対する意識は変わらなかった。最初の水道水は大量の塩素が投入されていたため美味しくないし匂いがした。この悪いイメージが長く続いたので、水道水を沢山飲むことはなかった。同時に、オシッコも行かない習慣がついてしまった。
 私を病気にした岩清水には、戦争の際にアチコチ掘られていた防空壕の中に、敗戦が近くなると軍が製造していた毒ガス兵器・爆弾・不用品などが廃棄され、劣化して次第に滲み出して来た。我が家の石清水を溜めるプールのような池に飼っていた鯉が時々全滅する。当時は、寄生虫だと思い込み、殺菌のために大量の塩を池に撒き、新たな鯉を買って育てた。私だけが弱かったのか、様々な病気を患ってしまった。薬漬けの毎日だった。

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