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派手な動きに医師会が焦り、怒った
1992年、アルカリイオン水が日本テレビ「今日の出来事」で奇跡の水として3日連続特集が組まれ、あっという間に大ブレーク。電解水生成器が1年間で100万台以上2000億円以上売れた。この時テレビのニュース特集画面に登場したのが、神戸の協和病院と明石の明石病院だった。ちょうど私と松下が本を執筆していた。私の本は「アルカリイオン水 飲んだらこう変わる」とまさに特集そのものの題名だった。 -
生命の水研究会が一緒に明石病院のデータを分析することにした
神戸の協和病院のお仲間だった明石病院の三好理事長は、344室の精神病院を計画。建設が始まったが金融機関から大きすぎて施設が埋まらないと判断され、融資がストップ。困った理事長は患者集めのためにアトピー性皮膚炎の患者を収納する計画を打ち出した。そして、水治療で名前の売れ始めていた篠原先生の鳩山ニュータウン診療所に応援を求めて来た。 -
アルカリイオン水を飲みアルカリイオン水で作った食事をすると、アミノ酸や有機酸の漏れ出しが半分以下になる
神戸の協和病院でアルカリイオン水を飲んでアルカリイオン水で作った病院食を食べた患者と水道水を飲んで水道水で作った病院食を食べた患者では、尿も大きく変わった。同じ病院の患者だが、10名10名分けて測定・分析。私達は、健康診断で必ず尿検査を受ける。それは、尿中に人体の病気に関する様々な情報が含まれているからだ。 -
データを取り始めて、水治療の欠点も示された
1987年から水のデータを取り始めた。篠原先生との水治療は医療や薬に比べて効果絶大だった。難病患者も沢山手掛けカラダを回復させた。原因がはっきりしない、治し方が分からない、次の人の為様々な人体実験に付き合ってくださいね。その代わり治療費はタダ。透析患者には医師会の猛反発で手を出さないことにした。 -
指定難病の多くが、アルカリイオン水を飲んで症状が大きく改善した
燕三条で指定難病18脊髄小脳変性症患者がアルカリイオン水を飲んで仕事に復帰したのがきっかけで、寺泊の看護師姉妹が脊髄小脳変性症患者を大学病院から連れ出し、アルカリイオン水を飲んでもらって一緒に旅行に行ける程改善した。大学病院には様々の指定難病患者が院内にいる。ここから次々と指定難病患者を看護師姉妹が連れ出してくる。 -
決して遺伝子のせいにして分かりもしない医療や薬で患者を苦しめないで欲しい
指定難病18脊髄小脳変性症は、歩行時のふらつき・手の震え・ろれつが回らない等を症状とする神経の病気で、動かすことは出来るが上手く動かせない。後頭部の下側にある小脳の一部が病気になったときに現れる運動神経失調症。原因不明の病気の一群を変性症と言い、脊髄にも広がっている。この病気も遺伝子の変異と呼ばれているが、アルカリイオン水で沢山の患者が良くなった。 -
家に帰った元ウイルソン病の患者は、元の生活環境に戻って再発した
難病指定171ウイルソン病が治った。患者は喜び家に帰る。病院で病気が治ったと言われたときは、誰もが安心し喜ぶ、家族揃ってお祝いだ、ただ、カラダの数値をコントロールする為、薬を飲んで定期検診する。それは、本当に病気が治ったわけではない。数値が薬でコントロールされているに過ぎない。だから、再発する。基本的に治っていないからだ。 -
驚いたことに難病ウイルソン病が完治していた
警察病院で入院していた指定難病171ウイルソン病の患者さんが水治療のため鳩山ニュータウン診療所の2階に入院することになった。普通の病院と違い民家の2階に布団を敷いて寝泊まりするだけ。薬を使用しないで電解水生成器で生成したアルカリイオン水を毎日体重の1割飲むだけ。その為に入院先の警察病院を出て埼玉の山の中までどうして来たのか。 -
カラダに良い水を選ぶのは大変難しい。偶然の電気分解水
水治療の結果が大変順調で、篠原先生の勤務先である警察病院の患者さんが毎日訪れ、次第に地元の患者も来るようになった。入り浸りの男性が2名いて、その1名はアルカリイオン水の強さについて独自の見解を持っていた、「強い方がいい!」。据置型電解水生成器を活用して、pH10-11の水を作り飲み続けていた。蛇口直結型・浄水器内蔵・流水式電解水生成器では10を超える水は作れないので… -
腎臓はアルカリイオン水で快方する
透析患者の水治療はすぐかかりつけ医に分かってしまい、かかりつけ医から怒りの電話が篠原先生宛てに入って来る。そして抗議される。私個人にも抗議電話が入って来て「殺人罪で訴えるぞ!」篠原先生と協議の結果、透析患者は水治療をやらせないことにした。両方の腎臓に数センチの穴が開いていたNさんは人工透析で人生を終えてしまうより、未知の世界だが明日に希望が持てる…